HISTORY#EPISODE-02
業界改革の中の成長期
工場の増改築で生産拡充
昭和46年(1971)、佐藤薬品工業は自動流動コーティング機を設置して生産能力を増強。製剤化が困難なカプセル製剤の製剤技術で他社をリードする弊社には、医療用医薬品の受託加工が増え続け、生産能力は飽和状態となった。
このため昭和49年(1974)3月、重量鉄骨2階建て延べ1,155平方メートルの新工場を増設して、生産体制を拡充した。新工場の増設によって、一応、生産能力の増大は実現したが、佐藤又一の頭の中にはこのときすでに大規模な工場の建設構想が出来上がっていた。この構想に、当初の予定より早くGOサインが発せられることになった背景には、昭和47年頃から国が具体的に計画を進めつつあった「GMP(医薬品の製造および品質管理に関する基準)」があった。
この時期、医薬品製造業界、なかでも弱小企業の多い配置薬業界は、GMPを巡って大きく揺れ動いていた。
「GMP基準適合工場」として堂々の完成
佐藤薬品工業のGMP基準に適合した新工場は、完成の翌年昭和53年(1978)1月29日、盛大に落成式を執り行った。新工場は、敷地8,900平方メートル、鉄筋コンクリート一部2階建て延べ7,000平方メートルで、総工費は13億円。
設計にあたっては、佐藤又一のWHOとFDAの貴重なGMP視察体験から、これらの先進国の長所を参考に、わが国のGMP基準実施細則を基本とし、さらに製薬業界関係者や設備業者等の豊富な経験と知識を採り入れるとともに、会社の総力を結集した。
各GMP施設のうち、特に交又汚染防止、恒温恒湿、無塵の空調、衛生管理面等については時代のニーズを先取りした設備を整えた。また、集塵排水処理等の公害対策施設も完備。30年先を見越した、より高度なGMP適合工場として稼働することになった。
規模の大小はともかく、その内容はカプセル剤製造メーカーとしては業界トップの評価に恥じない充実したものである。製薬業界のGMPに高い関心を示していたマスコミ各社の取材が相次いだが、そのいずれもが「医薬品の製造工場としては欠かすことのできない要素を十分に採り入れた近代的モデル工場」と紹介した。
なかでも注目を浴びたのは、最新のHEPAフィルターにKATHABAR(カサバ)方式をプラスして、工場内を病院の手術室に課せられた規格に近い状態を保つ空調設備だった。